※これは書きかけの下書きです。今後加筆修正します。
兵庫県明石市の、JR山陽線・朝霧駅からほど近い「朝霧歩道橋」で群集事故が発生したのは2001(平成13)年7月21日の夜のことだ。
事の経緯は、駅から現場の歩道橋を渡った先にある明石市大蔵海岸で花火大会が行われたところから始まる。もう少しだけ詳しい位置関係を述べると、歩道橋の北に駅があり、南側に海岸があるという感じだ。
よって、花火大会に訪れた人々のうち、多くは駅から歩道橋を通って海岸へ行き、花火を見物したら今度は海岸から歩道橋を通って駅へ戻る、という動線で移動することになる。
花火大会が始まる前でも終わった後でもいいのだが、もしも大勢が一気にこのようなパターンで動けば、どこかの時点で歩道橋が大混雑するのは自明の理である。あるいは、会場へ行こうとする人々と、駅へ戻ろうとする人々が歩道橋の上で衝突した場合も同様だ。
ここで、この歩道橋の構造も一度知っておく必要がある。橋の全長は103.7メートル、幅8.4メートル。このうち人が歩ける部分の幅は6メートルだった。朝霧駅から来て橋を渡ると、約75平方メートルの踊り場からほぼ直角に右折し、今度は幅3メートルの階段48段を下りて地上に到着、という流れになる。
事故発生のメカニズムという観点から考えた場合、この橋には次のような二つの問題点があった。
①朝霧駅側には歩道橋よりも広いテラスがある。そこから、幅6メートルの歩道橋→幅3メートルの階段、という流れで進むことになるので、歩行者にとっては「海岸に向かって進むとだんだん狭くなる」という、いわゆるボトルネック構造だった。
ドラえもんのひみつ道具のひとつ「ガリバートンネル」をイメージするといいかも知れない。
②橋の上には高さ約3メートルのアーケード状の屋根が設置されている。また、利用者を横風から守り、さらに橋上からの落下物などを防ぐことを目的としたポリカーボネイト製の壁もついていた。
つまりこの歩道橋は、トンネル状だったわけである。
実際には、屋根に大きな開口部があるので完全に覆われているわけではないし、壁も透明な板が使われているので視界は利く。
よって普通に利用する分には、決して狭苦しさを感じさせるものではなかった。
と、以上の内容をざっくり踏まえて、事故発生当時の状況を時系列で辿っていこう。
念のためお断りしておくと、以下では「トンネル状の歩道橋で人間がぎゅうぎゅう詰めになって大惨事に至る」経緯を辿っていくことになる。
いたずらに凄惨な書き方をするつもりはないが、もしも読んでいて途中で息苦しく感じたら――あるいはそうなる恐れがある方は――次の「★」マークまでとばして頂いた方がいいだろう。
実は筆者は、最初に資料を読んだ時に動悸が激しくなってちょっと大変だった。
★
◆18:00頃~
歩道橋が混雑し始めた。朝霧駅方面から、花火会場に向かう人々が入ってきたのだ。
混雑の主な理由は二つである。
ひとつは、前述のボトルネック構造だ。橋を渡り切っていざ階段を下りようとすると、幅がそれまでの半分の3メートルになるのだ。
よってそれまで幅6メートルの橋を悠々と渡っていた人たちも、ここで詰まることになる。
しかも階段を下り切った歩道では、花火の見物客狙いの夜店が軒を連ねていた。そこで大勢が立ち止まるものだから、階段も、橋の上でも人々が詰まってしまうのだった。
それでもまだ、歩道橋は自由に歩ける状況だった。
◆18時半頃
朝霧駅のホームは大混雑の状態だった。
「皆さん、花火会場へはあちらの歩道橋をご利用ください」
駅では、歩道橋を使って会場へ向かうルートを人々に向かってアナウンスしていた。迂回路もあるにはあるのだが、分かりにくいため歩道橋の方を案内していたようだ。
この時点でも、まだ歩道橋は比較的自由に歩けた。
◆18:50~19:10頃
上述の理由から、歩道橋の混雑はますますひどくなる。
さすがにこれはヤバいと考えた警備会社は、明石署に連絡した。
「朝霧駅から、会場へ向かう人を制限できませんか? 群集を一気に受け入れるのではなく、人数ごとに分けて断続的に入場させるんです」
しかし明石署の答えはノー。
「そんなことをしたら、今度は駅の方が混雑しちゃう。ダメです」
もともと、彼らは雑踏整理にはあまり注意していなかった。むしろ警戒していたのは暴走族やケンカの方だったのである。
◆19:25~35頃
どうやって数えたのかよく分からないが、歩道橋の人数が1,800人を突破した。これは、入場規制を発動する想定人数を超える数字である。
19時半頃になると、歩道橋の朝霧駅側の入り口のあたりは、人々の肩が触れ合うくらいの密度になってきていた。
特に歩道橋の中央から先で、混雑度が増し始める。先述したボトルネック構造が原因で、渋滞が発生していたのだ。しかも階段下は、夜店と、その客と、花火の見物客でいっぱいである。これでは歩道橋にいた人たちが進めないのも当然である。
歩道橋内部は、だんだん人々が密集したことによる酸欠・気温上昇で不快な状態になってきていた。
それでも人の流れがストップしていたわけではないので、特にそれをどうにかしようという話には至っていない。
◆19:45頃
花火大会が始まった。より厳密に言うと、このイベントは「第32回明石市民夏まつり」の一環として行われた花火大会である。
花火が始まったのだから、きっと歩道橋の人々も急いで会場に向かうだろう。そうすれば混雑もいくらか解消されるはずだ……と考えたくなるが、そうはならかった。
実は、歩道橋を渡り切った南端のあたりは展望デッキのようなスペースになっており、昼間であれば大蔵海岸が一望できる場所だったのである。海岸の打ち上げ花火を見物するには打ってつけのスポットだ。また、階段の踊り場付近でも、立ち止まって花火を見上げる人が多くいた。
さらに、そうではない人々も、花火が上がれば歩みを止め、散ればまた歩き出す――の繰り返しである。進み幅がだんだん狭くなり、人々はなかなか進まない。こんなこともあって、歩道橋の混雑ぶりはひどくなる一方だった。
群集事故の恐ろしい点のひとつに、「群集の後ろにいる者は、前方の異常な状態に気付かない」というものがある。まだこの時点では事故は起きていないが、駅側から早く進むように叫ぶ者もいた。
「花火が終わってしまうやろ。進め」
また、それに同調する者もいたのだろう、駅側からの圧力が増していった。
ここで警備員が、また明石署の警察官に連絡している。
「このままでは危険です。通行を制限しましょう」
しかしこれも答えはノー。
「それは花火大会が終わった後でいいでしょう」
おそらく明石署では、人々が帰路に就く際に雑踏整理をすればよいと考えていたのだろう。
しかしこの辺りから、すでに歩道橋の中で危険を感じた人も大勢いた。ある人は押していたベビーカーを畳み、子供を抱きかかえた。
またある人は、歩かせていた子供を、やはり同じように抱きかかえたり高く掲げたりした。そうしないと呼吸ができないほどの圧力だったのだ。
また、歩道橋のポリカーネイド製の壁と、鉄製の手すりとの間へ子供を避難させ、自分自身もそこに入る大人もいた。それでも、そこまで人々の圧力が加わって、必死に子供を守らなければいけなかったという。
◆20:21頃~
花火大会が始まって30分が経過したあたりで、いよいよ歩道橋やその周辺からは「身動きができない」と混雑を訴える110番通報が相次いで寄せられた。
しかし通信の混雑と電波状況の悪さなどから、救急要請の電話が通じないことも多かった。
◆20:28~20:38頃
花火大会が始まって45分以上が経過する頃には、携帯電話からの119番通報が相次ぐ。この時はまだ、怪我人の救助を要請するような通報はなかった。混雑のせいで体調を崩している人がいる、という内容がほとんどだったという。
そこで、明石市消防本部の通信指令室から第5救急隊に救急出動の指令が出されたが、この指令もピントがずれていた。「朝霧駅ロータリーへ救急出動せよ」というものだったのだ。前述の通り、この時は電波状況が悪く、具体的な場所をうまく聞き取れなかったらしい。
救急隊が朝霧駅へ出動したものの、怪我人はなし。それもそのはず、混雑しているのは駅ロータリーなどではなくその上の歩道橋だったのだから。
この時点で、歩道橋では約6,000人がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
ちなみにこの橋は、海水浴客で賑わう7・8月は一日で7,200人が通過することを想定されて作られていた。この、ピーク時の一日の交通量に近い人数がひしめき合っていたのである。
「戻れ!」
「子どもが息できない」
現場では叫び声が飛び交い、中には失神する人や、体が宙に浮いてしまう人もいた。
◆20:31頃
ようやく、約3,000発の花火の打ち上げが終了した。打ち上げられた花火の数は約3,000発にのぼった。
歩道橋の南端で花火を見ていた人たちも、ようやく動き出す。
この見物客たちの背後では、トンネル状のアーケードで覆われた歩道橋の内部で橋ですし詰めになって苦しんでいた人たちがいたと思うのだが、それでもこの時は花火を楽しむ余裕があったのかと少し驚く。
とにかく彼らは一斉に北の方角へ動き始めた。もと来た朝霧駅へ向かうためだった。
また、彼らとは別に、花火見物を終えて南側の階段を上り始めた人たちもいたと思われる(ちょっとはっきりしない。歩道橋の混雑状況を見れば、とても上る気にはなれなかったと思うが)。
一方で歩道橋上には、反対に駅から歩道橋の南側――つまり海岸方面――へ進む人々の流れがあった。この正反対の方向からの人の流れが、歩道橋上で衝突してしまった。
弥彦神社事故やラブパレード事故のパターンである。目的地へ行こうとする人々と、目的を果たして帰ろうとする人々がかち合ってしまったのだ。
この頃には、警備員もやっと明石署からの許可を得て、駅から歩道橋への入場を規制し始めた。しかし焼け石に水で、人の流れを止めることはできなかったという。
歩道橋内は、一平方メートルに13人以上が押し込められるという超過密状態になった。子供の泣き声や怒鳴り声が飛び交い始める。南階段の下には警官がいるのだが、歩道橋内の半透明の壁を叩いて助けを求めても気付かれない。やがて、群集の中から、自分たちで何とかしようとする動きが出始めた。
「駅方向へ戻って下さい。戻って下さい!」
と、駅方向へ伝えようとする人もいた。さらに、一人の人が、
「あかん。みんな戻れ!」
と叫んだことで、駅方向(歩道橋の北側)と海岸方向(歩道橋の南側)のそれぞれの方向に向けて、大勢が掛け声を上げ始めた。
「戻れ! 戻れ!」
これを聞いて、実際に引き返す人もいたという。しかし、既に超過密状態になっていたところでは、目立った効果はなかったようだ。
◆20:40頃
この時まで、歩道橋での混雑を訴える110番通報は29本にのぼった。
◆20:45~20:50頃
この時、歩道橋では約6,400名がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
ここで、惨劇の予兆が発生する。歩道橋の群集に、ジワッとした波のような圧力が加わったのだ。
この「波」は東西南北あらゆる方向から発生し、
これによって一部の人は失神。さらに、押さえ込まれるように倒れ込む小規模な転倒も発生した。身長の低い者は圧迫され、背が高い者はつま先立ちや片足立ち、あるいは浮き上がり気味になり、斜めになりながら耐えている状態になった。
この時は何人もの人の体重が加算された状態だったことから、一メートル幅あたり約400キログラムの力がかかっていたと考えられている。
そして事故が発生した。群集雪崩の発生にともない(群集雪崩とは何なのか、という問題については後述する)、歩道橋の南端から5メートルほど北側の場所、壁際のあたりで6~7人が折り重なって転倒したのだ。
超過密状態の間は、それはそれでバランスが取れていたのである。しかし、このような転倒が発生したことでバランスが崩れ、いわば「転倒の連鎖」が起きた。
ぎゅうぎゅう詰めだった中で、急に人が倒れて隙間ができた。するとその隙間を中心に、さらに周囲の人間が吸い込まれるように次々に折り重なって転倒。斜めになりながらこらえていた人もバランスを失い、飛ばされ、倒れ込み、重なり合い、最終的にはこの転倒の連鎖に300~400名が巻き込まれた。
20:45分頃から50分を過ぎるまでの10分ほどの間に、こうした転倒事故は歩道橋内で複数回発生したと考えられている。
さてこの時には、既に機動隊が歩道橋南側の階段下に到着しており、バリケードを作って階段を封鎖していた。また、こちら側にあったエレベーターも同じく封鎖していた。
「一方通行です。上がれません」
と、警備員や明石市の職員は人々に呼びかけたが、心ない人々からタックルされたり蹴りを入れられたりしている。
そこで、歩道橋内で大規模な転倒事故が発生したと知らせが入った。それを聞いた機動隊の隊長は、
「盾を置いて負傷者を救出しろ!」
と、動き出した。転倒に巻き込まれた人たちは、しばらくは倒れたまま動けなかったという。千人単位で人がひしめき合っていたところで、折り重なって転倒したのだから当然だろう。
現場では、機動隊員や市職員、一般市民による救出が行われた。また、自力で脱出できた人もいた。
重軽傷247名(222人とも)、死者は11名に及んだ。亡くなったのは小さな子供とお年寄りばかりで、10歳未満9名、70歳以上2名という内訳となった。
◆21時02分
歩道橋の北側にいた花火警備の消防職員から、明石市消防本部へ「集団災害対応要請」が携帯無線で送信された。
「負傷者が多数あると思われるので救急車の出動要請。国道28号に部署するよう」
これを受けて、消防本部は「第一次集団災害」を発令。さらに21時7分には「第一次救助救急災害出動指令」も発動している。
このような経過を経て事故は発生し、そして歩道橋とその周辺の混雑もようやく解消されていった。